生成AIの人材育成は、多くの企業で「やるべきかどうか」から「どう実行するか」へと論点が移りました。しかし、全社規模でどう展開し、どう定着させるのか、確立された正解はまだありません。研修だけを用意しても現場は動かない。同じ壁の前で立ち止まっている人事・人材開発の担当者は、決して少なくないはずです。
株式会社セブン-イレブン・ジャパンは、全社員向けの資格支援制度と新入社員向けカリキュラムの両方に、当協会の「Prompt Engineering Professional(PEP)検定」を採用しました。旗を振ったのは、人事本部 教育推進部で能力開発を担当する市川さんです。
語られたのは華やかな成功談ではなく、「始めてもらい、続けてもらい、受験までたどり着いてもらう」ための地道な設計と、その先に置かれた一つの目的でした。
1.「エクセルだけはできるようになってから入社してほしい」
すべての出発点は、生成AIではなく、17年前の内定式にありました。

黒柳
教育推進部において、生成AI活用の人材育成が「取り組むべき課題」として浮上した経緯を教えていただけますか。
市川
AIはもう外せない。どう使うかは各社それぞれと考えますが、これは各社共通の課題認識だと思っています。 ただ私自身の話をすると、きっかけは生成AIではありませんでした。2009年に入社したのですが、その前年の内定式で、当時の社長から言われました。「エクセルだけはできるようになってから入社してほしい」と。
黒柳
内定式で、ですか。
市川
そうです。当時の私は『社長がおっしゃるなら』と考えて、内定式が終わったその足でパソコン教室に向かいました。入社前にエクセルの資格を取得してから入社しました。 研修時の直営店舗での資料作成をはじめ、OFC(店舗経営相談員)になってからの加盟店のオーナー様との打ち合わせでもExcelの資格は非常に有用でした。10年以上も前の話ですが周囲がまだ電卓を叩いている中、私はエクセルである程度のものを作れたことで、業務効率がまるで違うという実体験をしました。
黒柳
資格そのものより、資格をきっかけに仕事が変わった経験のほうが大きかった。
市川
そこは間違いありません。実務で使えるツールによって、人生は変わる。私はそれを実感として持っています。 当時の私にとってエクセルは「目に見えるハードスキル」でした。それが、資格を持っていることで違う仕事の仕方という形で現れるので、周囲から頼りにされる。頼りにされるからもっとできるようになろうと思う——という形で、ハードスキルがソフトスキルや人脈に置き換わっていく体験にもつながりました。いま社員の皆さんにPEP検定をお勧めしているのは、こうした理由もあります。
黒柳
現場をサポートする立場になってから、危機感が強まったところもありますか。
市川
ありました。当時驚いたのは、ツールを知っていれば数クリックで終わる作業に、何時間もかかっている場面が決して少なくなかったことです。決して能力の差ではありません。知っているか、知らないか。それだけで、これほど差がついてしまう。 ちょうど、現場をサポートするオペレーション企画という部署に異動した際、運よく自動化やアプリを内製開発できるMicrosoft Power Platformなどのツールに出会い業務効率化(業務自動化)を自らの手で成しえることを知りました。より業務効率化に興味を持つようになったのもこの頃です。その後、財務会計企画という部署に異動しバックオフィスで現場を支える方々に業務効率化を広めるという経験を経て、いまは教育の領域でより多くの社員の方に業務効率化を知っていただくことが私のミッションです。 過去であれば人海戦術で何とかなった部分もあったかもしれません。しかし、少子高齢化や労働人口の減少という変化がある中で、それでは限界があります。だからこそ知る機会をどう用意するかが自分の仕事だろうと考えるようになりました。
2.研修でもeラーニングでもなく、なぜ「検定」だったのか
セブン-イレブン・ジャパンでは、セミナー、eラーニング、内製コンテンツ、資格支援と、複数の育成手段を並行して走らせています。その中で、なぜ検定に力を入れるのか。

黒柳
研修やeラーニングなど選択肢がある中で、検定という形式に着目された理由はどこにあるのでしょうか。
市川
ラーニングピラミッドを機軸にどうアクティブラーニングをしてもらうかを考えています。したがってセミナー、eラーニング、検定もやります。ただ、すべてにおいて「ご自分で手を動かしていただき、実体験をもっていただく」ところに重きを置いています。 セミナーであればハンズオンをしていただく。eラーニングであれば何か提出していただく。そして検定であれば、PEP検定のように、実際に手を動かして自分自身が体験していただけるものを選ぶ。一方的に聞いて終わりになるものにはしない、というのがこだわりのポイントです。
黒柳
アクティブラーニングの考え方が根っこにある、と。
市川
そうですね。加えて、資格をなぜ大事にするかというと、合格して終わりではないからです。合格した次に何をするかというと、ぜひ業務に活かして私が経験したように周囲の方に教えていただきたいと思っています。「私、この資格を取りました」と周りに言うだけでもいいと考えます。特にAIはキャッチーで、皆さんが注目してくださっているので、話題に上りやすい。また、周囲の方にAIの使い方をアドバイスするというプロセスの中で、ハードスキルがソフトスキルへ置き換わっていきますし、アクティブラーニングによって高い学習定着率を合格者ご本人も得ることができます。
黒柳
生成AI関連の検定はいくつもあります。その中で、どう位置づけを整理されたのでしょうか。
市川
私たちは、AIスキルの育成について、情報の取り扱いやリスク管理といった基礎固めと、実際にAIを使って仕事の質を上げていく実務活用の両面から考えています。 リスク管理については、eラーニングも含めて社内でかなりしっかりやっています。というより、リスク管理は自社でやるしかないという考えです。生成AIの運用ルールを外部の検定だけで網羅できるかというと、一般的な資格では大枠までしか扱えない。社内の独自ルール、セブン-イレブン店舗ではどうするのか——そこは各社で決めなければいけない部分ですから。
黒柳
だとすると、外部の検定に期待されるのはAIを使って仕事の質を上げていく実務活用の側になる。
市川
その通りです。リスク管理等の基礎固めを深掘りする検定が不要というわけではなく、使い分けの問題だと思っています。 ただ、情報の取り扱い等のリスク管理を自社で固めるほど、外部から持ってくるべきなのは「体系的に知識を深掘って、日常の実務に役立てられる」ものになります。少なくともいまの弊社の状況ではそう判断して、PEP検定を既存社員と新入社員の方にお勧めさせていただいています。
3.全候補の教材を買い、自分が合格してから推した
PEP検定の導入時、社内に生成AIに明るい人間は多くなかったと市川さんは言います。ではどうやって選び、どうやって周囲を動かしたのか。

黒柳
導入にあたっての社内の温度感や、当初の反応はいかがでしたか。
市川
正直、私も含めて生成AIに明るい人間はスタートの時点ではほとんどいませんでした。ただ、AIの進歩と時代の変化は待ってくれません。やっていくしかない。それで人海戦術で進めることにしたのですが、人海戦術といってもほぼ私一人から始めて、周りを巻き込んで「この試験どうだろう」と並べていく。一つひとつテキストを買って、場合によっては実際に受験もする。 そうやって全部を並べると、「これだな」というのが見えてくる。自分で実体験するからこそ見えてくる部分で、言葉では語り尽くせません。逆に言えば、その実体験さえ持っていれば、あとはいくらでも語れる。「これです、これが最適です」と。
黒柳
ご自身で全部の検定を比較して、実感を持っていたからこそ、周囲や上長を説得できた。
市川
そこには2つの実体験があります。入社時にエクセルの資格を持っていて働き方が他と違ったという経験があるから、もう一押しができました。加えて、自分で調べて実体験があるから語れる。 なので、推奨する前に、かなりギリギリでしたが自分で受験し合格してから「これです」と言いました。ここにはこだわりました。
黒柳
ありがとうございます。実際にPEP検定の教材をご覧になって、他と明確に違うと感じられたのはどのあたりでしょうか。
市川
本当に設計が素晴らしいと思っているところなのですが——資格があって、その資格の勉強を、AIを使ってやるという立て付けになっている。シラバスが公開されていて、それをAIに読み込ませて学習できる。あの設計を実体験でやることで、実論に落ちやすくなると感じました。使ってみる、触ってみるきっかけそのものになっています。
黒柳
ありがとうございます。教材をウェブサイトで誰でも使える状態にしている思想の部分に、共感いただけたということでしょうか。
市川
それもありますし、もう一つ大きいのはテキストのラインアップが乱立しないことです。 普通の資格ですと、一つの資格に対して対策本が3種類も4種類も複数出ています。受験する側からすると、「高いテキストのほうがいいのかな」「これだけお金をかけて落ちたらどうしよう」と、いろんなことが頭を巡るわけです。受けるまでの障害がどれだけ少ないかという意味において、PEP検定は本当によくできています。
黒柳
受験の敷居の高さというのは、人事の外にいるとなかなか見えない論点です。もう少し伺えますか。
市川
資格に限らないのですが、何かを学ぶときには、自分で始めないと意味がないと考えています。自分の意志で始めて、自分の意志で続けるから効果につながる。それが自然にできるようにするには、最初の障壁の低さがとても大事だと考えています。 弊社の場合、受験料は会社が出しますが、テキストは自分持ちというルールにしています。勉強の仕方は人それぞれですから。そう考えたときに、教材が無料というのは非常に大きなメリットだと考えています。
黒柳
新入社員のカリキュラムに組み込まれたのは、大きな判断だったのではないでしょうか。
市川
それは社風の部分かもしれません。「これでいいんだ」と一つ決まったら、その後は私が入れたいと言うのではなく、周りが「やりましょうよ」と言ってくれる。もともとケーススタディの文化があって、いいものがあったら共有しようという土壌があります。 おかげさまで、エントリーは200名程度まで入っていて、当初用意した枠が足りなくなりましたので、先日枠を500名まで増やしました。
4.資格は、用意するだけでは広がらない——3つの梯子
ここからが、同じ課題を抱える人事担当者にとって最も再現性の高い話です。資格を用意するところまでは、多くの企業ができる。問題はその先でした。

黒柳
皆さんお忙しい中で、学習時間の確保やモチベーションの維持には、どのような工夫をされたのでしょうか。
市川
そこは、かなり難しいと思っています。検定そのものの入り口は低くても、社内でどうするかとなると、立ち止まってしまう壁が3つあるんです。申し込むとき、勉強を続けるとき、そして実際に受験するとき。その一つひとつに梯子をかける必要があります。 まず、そもそもFormsでエントリーしていただけるかどうか。これが第一の障壁です。
黒柳
申し込みの段階でつまずく。
市川
はい。そして次に、エントリーはしたけれど、受験まで至らない方が少なくない。ここは正直、当初かなり課題を感じていた部分です。
黒柳
それは、多くの会社で起きていることだと思います。
市川
ここを今年から、業務自動化の仕組みを応用してアテンションをかけるようにしました。エントリー時に受験予定日をご記入いただくので、「ここで申し込まないともう間に合わないですよね」「経費の精算はここですよね」「この内容で申請していましたよね」と受験予定日から逆算して投げかけをさせていただく。それだけでも受験率はかなり変わります。実際、この仕組みを導入したことで今年はPEP検定だけでなく推奨している資格の受験率が大きく改善できました。 そして3つ目。エントリーして「さあ勉強しよう」となったとき、一人になり不安になってしまいます。
黒柳
そこをどう解決されたのでしょうか。
市川
賛否はあるかもしれませんが、PEP検定にエントリーしたら自動的に、同じ資格を勉強している仲間がいるTeamsのコミュニティに招待されるようにしました。
黒柳
それはすごい。
市川
そこに入りさえすれば、合格した人の体験談が聞けます。その人が作った練習問題も投稿されてくる。「このプロンプトでやるともっと良くなるよ」「世の中で紹介されているプロンプトだと選択肢がこうなりがちだけど、こう書けば実践に近くなるよ」といった共有が、かなり頻繁に行われています。結果として、社員の皆さんからご好評をいただいている取り組みになりました。
黒柳
その練習問題は、誰が作っているんですか。
市川
コミュニティに所属している方々が自発的に作ってくださっています。これから受験する人が自分でプロンプトを組んで問題を生成することもありますし、合格した人が「私はこれでやりました」と入れてくれることもある。ナレッジが、どんどん継承されていっています。
黒柳
詳しい人が一人いて配っている、という形ではないんですね。
市川
そうではないです。コミュニティとして回っている。加えて、事務局側からも毎日、練習問題が投稿されるようにしています。PEP検定の模試を作ったものが、自動で毎日届きます。
黒柳
毎日、ですか。
市川
3日で挫折しそうになった人がいて、4日目にどうなるか。実は毎日問題が投稿されるので、一問解くだけでも続けられるかもしれない。それができたなら、「さあやるか」となったときに、リスタートが切りやすいのではないかと考えました。毎日解いていれば、「ちょっと頑張れば合格できるかも」という前向きな気持ちにもなれる。
黒柳
エントリーした瞬間にコミュニティに入り、練習問題が届き、期日が近づけばリマインドが来る。ここまでお膳立てされている人事部門は、正直あまり聞いたことがありません。
市川
このような仕掛けは、さきほどお話しした現場やバックオフィスをバックアップする企画部門でお仕事をさせていただいた際に身についた考え方によるものだと思います。企画が本当に完璧なら、そのプロジェクトは私がいなくても勝手に進むものです。それを作ることが企画だと思っています。
5.合格者が出てから、現場で何が変わったか
黒柳
合格者が出始めてから、現場ではどのような行動変化や成果が現れていますか。
市川
一番わかりやすいところで言うと、PEP検定の試験問題をAIを使って作るという学び方が、そのまま実務に転用されています。 たとえば社内で新しいシステムが導入され、習得度を測る確認テストを作るとします。以前はマニュアルを参照しながら手作りしていた。それが今は、30問・40問欲しいときにAIへ90問・100問と多めに出してもらい、その中から人間が選ぶやり方です。最後は人が目で確認するのですが、それでも工数は半分以下になったという事例が社内で聞けるようになっています。
黒柳
学習方法が、そのまま業務の型になっている。
市川
そうなんです。PEP検定の学習では「シラバスをAIに読ませる」という動作をします。すると、その動作がマニュアルを読ませる、要約させるといった行動に置き換わりやすい。 しかも、うまくいかないときに「ロストインザミドルで真ん中のデータが落ちたのかもしれない」と思い出して、プロンプトを修正したり、外してはいけない情報の置き場所を変えたりできる。知識があると、そういう立て直しができるんです。
黒柳
合格された方と、まだ合格されていない方とで、AIの使い方に違いは感じられますか。
市川
私の配下の方でも何人か合格していますが、やはり使い方は変わります。 知識があるから、自信を持ってプロンプトを書ける。逆に、知識がないと触ることすら怖い、という方は一定数いらっしゃいます。でも検定を持っていると「こうだろうな」という仮説が立つ。そして、検定を持っている方は自発的に次を学ぶステップに入っていく。ここが大きいと思います。
黒柳
部署をまたいだつながりも生まれているのでしょうか。
市川
起きていますね。今までなかった社内ネットワークができることで、AIとまったく関係ない場面でも、人と人とのつながりやカルチャーが変わっていく。実際に、部署をまたいで話すようになった例が個人レベルで出てきています。 そうやってハードスキルがソフトスキルに置き換わる体験をする人が増えれば増えるほど、会社としても風通しが良くなっていくんじゃないかと思っています。
6.まず最初にやるべき、一つのこと
最後に、同じ課題に立っている担当者へのメッセージを伺いました。
黒柳
これから同じ取り組みを始めるご担当者が「まず最初にやるべき一つ」を挙げるとしたら、何でしょうか。
市川
もし、私にエクセルの資格も現場やバックオフィスをサポートする業務自動化の経験もなく、まったくの素人でいきなり指示をいただいたとしたら——私はまず、資格から入ると思います。 その心は、自走できる人間を増やせるからです。自分で知識を学び足して、自分で学び直して成長できる人間が増えることが、一番の財産になり得る。そういう状況であれば、フラットに始められる資格から入るのが自然なんじゃないかと思います。
黒柳
今日お話を伺って、研修・eラーニング・検定の違いが非常に明確になりました。研修は受け身でも受けられる。一方で検定には、受講者側の覚悟が必要になる。市川さんはその覚悟を引き上げたうえで、火を切らさないための仕組みをセットで用意されている。ここは同じ課題を持つ方々に、大いに参考になる話だと思います。
市川
ありがとうございます。今日お話ししてみて、私にも気づきがありました。一番大きかったのは、今までの失敗が生きていたんだということです。まったく意識していませんでした。 何かあったときに軌道修正ができるのは、過去に企画部門でお仕事をさせていただいた時に失敗してきた経験に裏打ちされているからなんだと。話してみないとわからないものですね。
対談を終えて 黒柳茂
今回のお話でまず心に残ったのは、市川さんが、社員のつまずきそうな箇所を一つずつ取り除いておられたことです。
検定を作り、教材を無償で公開すれば、あとは受けていただける——作り手である私たちは、どうしてもそう考えてしまいます。しかし実際には、始めるとき、続けるとき、受験するときと、三つの段差がある。市川さんは、その一つひとつに梯子をかけていました。
そして最も嬉しく、同時に教えられたのが、PEP検定の学習動作そのものが実務のなかで使われていたことでした。「シラバスをAIに読ませる」「無償教材から試験問題を作らせ、自分で解く」。この型が、社内の確認テスト作成にとどまらず、業務マニュアルを読ませて質問に答えさせるといった、いま日本企業で最も広く使われている使い方にまで広がっている。検定の価値は合格者の人数ではなく、学習の体験がそのまま仕事に持ち込まれることにあるのだと、あらためて気づかされました。
市川さん、貴重なお話をありがとうございました。
取材・構成:一般社団法人日本プロンプトエンジニアリング協会
